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釧路地方裁判所 昭和43年(わ)9号 判決 1969年4月21日

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実および罪名

一、公訴事実

被告人は動力漁船第一二、三光丸(総トン数6.94トン)の船長として乗組み漁業を営んでいるものであるが、法定の除外事由がないのに、昭和四二年一〇月五日午前六時ころから同日午前九時三〇分ころまでの間、クナシリ島ノッテット埼西約三海里附近の海上において、同船によりさけ刺し網三〇反を使用してさけ約二〇〇尾を採捕し、もつてさけ刺し網漁業を営んだものである。

二、罪名および罪条

北海道海面漁業調整規則違反

同規則三六条四号、五五条一項一号

第二当裁判所の認定した事実

<証拠>によると、被告人は父盛本金次郎所有名義の第一二、三光丸(総トン数6.94トン)に船長兼漁撈長として乗り組んでいたものであるが、野宮謙二ほか二名を同船に乗り組ませ、漁業権又は入漁権にもとずかないで、昭和四二年一〇月五日午前六時ころから同日午前九時三〇分ころまでの間に、クナシリ島ノッテット埼西方約三海里附近の海上において、同船により刺し網約三〇反を使用してさけ約一七〇尾を採捕したことが認められる。しかし右採捕に際し被告人が刺し網を投網設置し、または揚網した場所(以下本件操業地点という。)がクナシリ島の沿岸線から三海里を越えていたことは本件全証拠によるもこれを認めるに足りず、またクナシリ島沖二、八海里の地点で操業をなしたという被告人の弁解もレーダーの誤差、網の長さ等も考慮すると一概に信用できないから、結局本件操業地点はクナシリ島の沿岸線から三海里以内の水域にあつたか三海里を越えた水域にあつたかはいずれとも断定できない。

第三北海道海面漁業調整規則の場所的適用範囲

一、被告人の前記認定の所為が北海道海面漁業調整規則(以下本件規則という。)三六条四号、五五条一項一号所定の犯罪を構成するかどうかを判断するについては、右三六条四号が日本国領海内外の如何なる海面を規制しているかにつき検討しなければならない。本件規則は、その前文および一条からも明らかなとおり、漁業法六五条一項および水産資源保護法四条一項の規定にもとずき、右両法律の委任により、且つ両法を実施するため、水産資源の保護、培養および漁業調整の目的で制定されたものであるが、本件規則三六条四号はこれらの法律の右各条項の各一号にいう「水産動植物の採捕」「に関する制限又は禁止」に関する規定である。したがつて本件規則三六条四号が規制する海面の範囲を決定するには、まず漁業法六五条一項一号および水産資源保護法四条一項一号の場所的適用範囲について考察しなければならない。

二、漁業法六五条および水産資源保護法四条はこの点につき直接規定していないし、またこれらの法律の全体を見渡しても明文の規定はない。もつとも漁業法三条および四条は「公共の用に供しない水面には、別段の規定がある場合を除き、この法律の規定を適用しない。」「公共の用に供しない水面であつて公共の用に供する水面と連接して一体を成すものには、この法律を適用する。」と規定し、水産資源保護法にも二条および三条にこれと同一の規定がある。ここにいう「公共の用に供する」という意味は必ずしも明確ではないが、右規定の意とするところは、水産動植物の採捕に関し直接一般公衆の使用に供される水面であるか、特定人のみが使用し得る水面であるかによつて場所的適用範囲を定めたものであつて、本件で問題となる右両法がわが国の領海内外のいかなる海域に適用されるかについて右規定の定めるところではないと解すべきである。そうすると、この点については漁業法および水産資源保護法の目的性格と漁業法六五条および水産資源保護法四条の内容に照らして決定することになる。

漁業法は一条において、「この法律は漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。」と規定する。漁業法はこの目的のもとに、漁業権および入漁権の設定、権利行使の方法等に関し、ならびに漁業権および入漁権にもとずかない漁業の制限、禁止とその解除等に関し漁業調整上の行政規制を加えるものである。また水産資源保護法は一条に「この法律は、水産資源の保護培養を図り、且つその効果を将来にわたつて維持することにより、漁業の発展に寄与することを目的とする。」と規定し、この目的のために水産資源の採捕制限、保護水面、さく河漁類の保護培養、水産動植物の種苗の確保等に関して行政的規制を加えている。

ところでわが国の領海内の海面においては右両法の定める各種の行政規制が必要であり、且つ両法の定める目的のために効果を挙げ得ることはここに説明するまでもなく明らかである。また公海は国際法上いかなる国の人民も航行、通商、漁業などのため原則として自由に使用できるのであつて、わが国は属人的に統治権を行使し、公海におけるわが国の漁業に対し右両法の各種規制を実力をもつて行なうことができるから、特にわが国の漁業者が専ら使用する公海においては右両法の各種規制が必要であり、且つ効果を挙げ得ることは、わが国の領海と何ら異らない。したがつて両法がその定める各種の行政規制をわが国の領海および公海に及ぼす趣旨であることは明らかである。

三、しかし、外国領海については当該外国が領土と同様属地的に統治権を有し、自由に使用することができるのであつて、他の国ないし国民は船舶の無害航行等特別な場合は別として、これを自由に使用できないことはすでに国際慣習法として確立した原則であり、日本国、アメリカ合衆国、ソヴィエト社会主義共和国連邦(以下ソ連邦という。)等主要国が当事国となり、わが国について昭和四三年七月一〇日発効した「領海及び接続水域に関する条約」もこの趣旨を明らかにしている。漁業についても外国領海は当該外国が原則として排他的に使用する権利を有する。したがつて水産資源保護の目的で日本国が外国領海における水産動植物の採捕の規制をしてもその目的を達し得るか否かはすこぶる疑問であつて、この目的のために水産資源保護法の定める各種規制を外国の領海にまで及ぼす必要はないものといわざるを得ない。また日本国民が外国の領海において漁業を営んだ場合には、当該外国により領海侵犯等の理由で取締りを受け、処理されても国際法上は止むを得ないところであるから、漁業者は外国の領海に立ち入つて漁業を営むことを差控えるのが通例であり、したがつて国家間の条約上の合意等により外国かその領海における日本国民の漁業を容認している場合は格別、外国領海における漁業にまで漁業調整という目的から一般的に漁業法の各種規制を加える必要があるか否かも疑問である。その上漁業法は一三四条において、主務大臣または都道府県知事は、漁業調整等のため必要な場合には当該官吏吏員をして漁場、船舶等に臨んで状況、物件等の検査をさせ得る旨規定しているが、すでに述べたとおり、外国領海は国際法上はわが国の行政権の実力を正当に及ぼし得ない地域であり、国際法規の遵守をうたう日本国憲法の趣旨からもわが国は外国領海に立ち入つてまで右の検査を含む漁業取締りの実力を行使し得ないものというべきである。

さらに翻つて考えるに、漁業法および水産資源保護法は、いずれも国家権力にもとずきその統治する人民に対し行政目的のために規制を加える、いわゆる行政法規であるが、行政法規は本来当該行政法規を制定ある機関の権限が及ぶ地域(即ち国の制定する法律については領土および領海内)に属地的に効力を有するのが原則である。もちろん行政目的の見地から必要な場合はその権限の及ぶ地域を越えて属人的にその統治に服する人民を規制することは立法上可能であろう。しかしこのような場合はあくまでも属地主義の例外であるから、当該法規の目的性格上属地的管轄地域を越えて規制を及ぼす趣旨であることが明らかであるか、または明文をもつてその旨を規定することが人民の利益のために必要である。

以上の諸点を考慮すると、漁業法および水産資源保護法は、わが国が属地的統治権を行使する水面(即ち原則として内水および領海)および属人的統治権にもとずいてわが国民に対して実力による規制が可能な公海をその規制する対象とし、外国が属地的に統治する領海については国家間の条約等の合意により外国がその領海におけるわが国の漁業を承認し、その結果水産資源の保護ないし漁業調整の目的から行政規制が必要となる場合のほかはその規制の対象としていないと解するのが相当である。漁業法六五条および水産資源保護法四条についても特に規制の対象となる海面の範囲を拡張すべき理由は見出せない。そうすると本件規則三六条四号が規制する水域も当然わが国の領海と公海に限られ、外国領海には及ばないことになる。

もつとも右のわが国の領海ないし公海に隣接する外国の領海で、特にわが沿岸漁業の漁場として適する海域においては、わが国の漁船がひそかにそこに侵入して操業することが多くなり、そのことが当該沿岸漁業秩序に好ましくない影響を与え、そのため右外国領海にまで漁業調整上の行政規制を及ばす必要が生ずることもあり得ないわけではない。しかし現行の漁業法が外国領海にも適用されるとする解釈は同法が違反行為に罰則を定めている関係で罪刑法定主義の見地からも到底採用できず、この点は新らたな立法措置に委ねられるべきである。

なお検察官は、外国領海における行為についても、日本国民が日本船舶によりなした場合には、刑法一条二項、八条により、漁業法、水産資源保護法およびその委任により制定された本件規則の罰則を適用し得ると主張するが、これまで説示してきたとおり外国領海における行為はそもそも犯罪構成要件に該当しないから刑法一条二項、八条の適用される余地はない。

第四クナシリ島の領海について

領海の幅員に関しては現在の国際法上必ずしも充分確立した原則はないが、最近沿岸線から三海里を越えた幅員を主張する国が一部にあるものの、一八世紀末以来幅員を三海里とすることが国際社会において広く認められてきたこと、日本国も一八七〇年以来三海里の主張を維持してきたこと等に鑑みれば、領海の幅員は沿岸線から三海里とすることが国際法上相当である。被告人の本件操業地点は前記認定のとおりクナシリ島ノッテット埼西約三海里附近であるから、クナシリ島が、日本国が現実に統治権を行使している領域であるか、外国が属地的に統治していて日本国が属人的にも統治権の実力を及ぼし得ない領域であるかにつき考察しなければならない。

クナシリ島が少なくとも第二次世界大戦終結前は日本国の領土に属し、日本国が統治権を行使していたことは歴史的にも明らかな事実である。しかし第二次世界大戦終結に際し、日本国政府はアメリカ合衆国、グレートブリテン国および中華民国が発し、後にソ連邦が参加したポッダム宣言を受諾して、昭和二〇年九月二日連合国最高司令官および主要連合国との間で降伏文書に調印した。これにより日本国は、自らの意思にもとずき、ポッダム宣言の七項に定める日本国領域の占領と、降伏文書八項に定める日本国政府の国家統治の権限を連合国最高司令官の制限の下に置くことを承認したわけである。連合国最高司令官は右ポッダム宣言および降伏文書により定められた権限にもとずき、降伏文書が調印されたその日、一般命令第一号を発して、従来の日本国の全領域につき日本国軍隊の降伏を指令し、千島列島についてはこれをソ連邦に占領せしめた。一方、ポッダム宣言および降伏文書の諸条項によつて強大広汎な権限を有する連合国最高司令官の制限下におかれながらも、日本国政府はその国家領域につきなお統治権を有していたが、連合国最高司令官は昭和二一年一年二九日日本国政府に対し、「若干の外廓地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」を送り、その中で「一、日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇備員その他総ての者に対して、政治上または行政上の権力を行使すること、及び行政しようと企てることは総て停止するよう日本帝国政府に指令する。」と命じ、ここに云う日本の地域から除かれる地域の一部として「千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)色丹島」を挙げた。この覚書により以後日本国政府はクナシリ島を含むこれらの地域に対し全く統治権を行使することができなくなり、ソ連邦のこれらの地域に対する属地的統治が事実上も法的にも承認されるに至つたわけである。

このようにクナシリ島に対しソ連邦が属地的統治権を行使し、日本国が統治権を行使し得なくなつた法的状態はその後現在に至るまで変更されていない。即ち昭和二七年四月二八日ソ連邦などを除く主要連合国と日本国との間に平和条約が発効したが、ソ連邦は右条約の当事国にならなかつたから日本国とソ連邦の間では右条約発効後も引続き降伏文書調印以後の法的状態が継続していたことになる。さらに日本国とソ連邦の間では昭和三一年一二月一二日「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」が発効し、日ソ両国間の戦争状態は法的に終了したが、右共同宣言はクナシリ島については何ら規定していない。しかし右共同宣言は平和条約に規定すべき内容をほぼ網羅しながら領土問題については、当時すでに南千島、ハボマイ群島およびシコタン島の領土帰属問題が両国間の重要な懸案事項の一つになつていたにもかかわらず、ハポマイ群島およびシコタン島の将来の帰属を定めたのみであること、九項で後日両国間に平和条約が締結されることを予定していることを考えると、南千島については共同宣言発効後も当分の間は降伏文書調印以後の状態を継続させ、領土問題の最終的解決は後日締結されるべき平和条約に委ねられたと解すべきである。

そうすると前記主要連合国と日本国との平和条約二条C項により日本国がクナシリ島を含む千島列島全島の領土権を放棄したか否かはともかくとして、少なくとも日本国としては現在ソ連邦がクナシリ島に対し属地的に統治権を行使している事実を全く根拠のないものとして否定することはできず、日本国は依然として現在なおクナシリ島に対し統治権を行使し得ないものといわざるを得ない。

第五結論

一、以上の考察によれば、領土的帰属はともかくとしてクナシリ島およびその領海は現在ソ連邦が属地的に統治し、わが国が統治権の行使し得ない点で一般の外国領海と同一視することができ、したがつて漁業法、水産資源保護法および本件規則の解釈にあたつても、クナシリ島領海は外国領海と同様その規制の対象とされていない海域とみるべきである。なおわが国とソ連邦の間には「北西大平洋の公海における漁業に関する日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の条約」が前記共同宣言と同時に発効したが、同条約一条によればその適用区域から双方の国の領海は除外されており、他に日本国とソ連邦との間にクナシリ島の領海における漁業に関する合意はない。

二、前記認定のとおり被告人の本件操業地点がクナシリ島の沿岸線から三海里を越えた本件規則三六条四号、五五条一項一号の適用されるべき公海であつたことは明らかでないから、結局本件北海道海面漁業調整規則違反の犯罪の証明がなく、よつて刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

以上の理由により主文のとおり判決する。(石川正夫 兵庫琢真 広田富男)

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